3.11の悲劇
石巻の叔母の百箇日目を機に、今日漸く葬儀をとり行う事ができた。
叔母は直接津波の被害を受けたのではないが、病院が機能しなくなったため糖尿病の治療が受けられず、3月16日離ればなれになった家族親族に見守られることなく亡くなってしまった。
叔父叔母兄弟達の住まいは石の森漫画館近くの門脇町。長男である叔父は株式会社「丸平かつおぶし」を経営しているがここも甚大な被害を受け、いまもって家族従業員ばらばらに避難しながら再建を目指している。
家族それぞれの話を聞くと、津波が目前に押し寄せて来るのを目の当たりにし、寸時の判断で車から飛び降り近くの日和山に逃げた人ばかり。沿岸部に住む一人ひとりに、一口ではいいあらわせない物語が秘められている。
この地区は80歳のおばあちゃんと16歳のお孫さんが、9日振りに救出され大きく報道された所でもある。
黒こげの小学校がひっそりと佇んでいるのを見ると、つい夢なんだろうかなんて思ったりもする。でもその残骸をみるにつけ絶対後世までこの悲劇を伝えそして忘れてはならない出来事なのだと改めて感じた。
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